原型 くどき「権三おもよの恋物語」

     くどき「権三おもよの恋物語」      梅は咲く咲く、桜はつぼむ。彼岸さくらも ちょいと色そえて 今を盛りと咲く ぱっとひらいて 恋ものがたり 国は長門八重桜 萩御城下 御名を申さば えびす町筋に、上良進お医者でござる。  元はお医者は町医者なれど いまは 御殿の御先を為され それが内儀に「おもよ」というて 歳は四筋で余りが二つ。ちたるおもよは 秀者にござる 二男息子に「権三」というて 歳は三七 男の盛り それにおもよが心をかけて 文をしたため 権三に送る 見れば美し筆立てそうな 文の使いは うちわの下女よ ともに権三に 相惚れになる 夜毎夜毎に塀を越えて 一夜二夜と たのしむうちに 今夜 周防の山口辺に 「権三さまを・・・」ともらいにかかる。もらいかかれば行くはと成るは 日柄 選んで入り家をいたす 後にのこりし おもよが心 花のようなるあの権三さまを 人にとられて わが身が立たぬ 嘘をいうても よびかえさんと 権三さまをと 飛脚を立てる。飛脚ゆくより 権三がもどる。ほんに権三しったい人よ わしを見捨ててよう行きやんす 御前山口おいでのあとで 世上話が旦那の耳へ 旦那いけんでわたしゃ身がもたぬ 御前山口お帰りの時は つれてお帰り 私もろともに つれて帰るはいとやすけれど 内に似合いの妻子がござる 夫が仲にいなければ つれてかえるが かなわぬならば 他国してでも あの下さんせ つれて他国はいとやすけれど 国には 国の関所がござる。それで他国どうなるものか 他国するのが かなわぬならば わたしとお前 心中しようか それで権三が理に責められて 胸はせき来る 身は下田町 ふちは瀬となる河原町 心からひ(萩唐樋町のこと)に 新道すぎて 人もあまたの道もしげき 見つけられしとあの来る矢先 しれん橋か 小橋をすぎて 心にかかるは扇のしばよ 音にきこえし松本橋よ 橋のらんかんに小腰をかけて あれはどこかと権三にとえば 京にかわらぬお伊勢がござる わたしの音頭はこれにて終わる。               参考   「萩市史より」法華寺前の女敵討ち。  万治元年(一六五八年)二月十五日 萩呉服町うしろ筋の法華寺前で 渡辺某が 叔父宗庵とともに 父四郎右衛門の仇として 松本の焼物師山村松庵を討った。  この者は父の仇であり 父の十七年忌に仇討ちをした旨 書付をそえて 福原惚右衛門宅にゆき 事情を説明して 藩の処置を待つ旨をのべた。  福原は二人の身柄を預かり 当職の榎本遠江にれんらく 当職の榎本は現場に 目付け三人 町奉行二人 当番の用心番四名をゆかせて あだ討ちの原因になった先年の事情を調べたところ 山村松庵が渡辺四郎衛門に対して「女敵討ち」( 妻に不貞をしかけた男への 夫による仇討ちのこと)をしたことが判明。 その折の藩の措置は 四郎衛門の跡目もたてさせ 松庵もおかまいなしという措置であった。  そこで今回の「女敵討ち」への措置も 国元と江戸とで相談の結果 山村松庵を討った渡辺某と叔父宗庵の罪は問わず 山村松庵の家も 跡目を立てるということで 一件落着したが 珍しい仇討ちだったと 萩藩記録が 記録がある。  女敵討ちは 近松の作品「槍の権三重帷子(かさねのかたびら」の 題材になった松江藩士の事件と されているが 松江も毛利藩であり 仙崎の通いの祭文くどきには 近松の作品の「槍の権三重帷子」の元型になったと推測できる同名の「権三おもよの恋物語」が通いで唄いつがれてきており 松江藩士というのは 当時の京童による噂聞きの誤記のおそれもあるので 正式な萩藩史から抽出した。    そして 萩のそばの当時の捕鯨基地港 通いの祭りの祭文くどきで 近松の作品「槍の権三重帷子」と同じ権三が登場する「権三おもよの恋物語」は 近松のその作品の元型とも推定されるので ここに併わせて 全文を披露した。                         引用 「萩市史」 「長門の民謡」長門の文化を高める会発行  

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